札幌・小樽スケッチ2015 小樽
2015.06.26

小樽ー1 手宮港
50年会のあった翌日は小樽にスケッチに行った。小樽駅まで行きそこからタクシーで地図の上の方にある手宮公園の眺望の良いところまで行った。しかし、朝早かったからか、霞んでいて市街地が見えない。仕方なく手宮の方に降りて港の方に出てみた。
ここでは多くの人が護岸で雑談をしながらのんびりと釣りをしている。
上の絵はここまで来たよ、という記念のつもりで1枚描いてみたもの。
(やまぐちさんのHPから推測するとこの場所は厩町岸壁と呼ぶようだ)

小樽ー2 運河公園近くから小樽運河を
手宮の港からぶらぶら歩いてここまで来た。以前も南側からこのあたりを描いたことがあるが来たことがない。運河沿いに座ると運河沿いから周辺の街並みまで一望できなかなか良い。
小さな紙だけしか持っていないのが残念なような風景だ。


小樽ー3 旧右近倉庫
ローソンでお茶を買って、その傍にあったこの倉庫・旧右近倉庫を描いてみた。
この建物は小樽市の指定歴史的建造物になっている。
その概要を見ると、木骨石造1階建 で、明治27(1894)年に建築された建物。
 明治20年代としては大規模な倉庫で、小屋組にはクイーンポストトラス(対束小屋組)が用いられています。
隣の旧広海倉庫、旧増田倉庫との景観は、かつての倉庫街の面影を残しています。
妻壁の「//」印は、北前船主・右近権左衛門の店印「一膳箸」で、船の帆柱に掲げられた船旗にも使われました。
平成7年正面の壁が強風で崩れましたが、翌8年に現在の姿に修復されています。」とある。

また、大きな木であまり見えなまったがこの絵の左側の建物(右写真)は旧広海倉庫で明治22(1889)に建てられた指定歴史的建造物だ。

小樽-4 旧日本郵船小樽支店(右)と同残荷倉庫(左) 小樽市色内3丁目
この絵の右の旧日本郵船小樽支店は国の重要文化財に左の残荷倉庫は小樽市の歴史的建造物に指定されている。竣工はいずれも1906(M36)年でいずれも工部大学校第一期卒業の佐立七次郎の設計によるとのこと。
ただ、この絵ではどんな建物かよくわからないものになってしまったので公園から撮った写真を載せておきます。


小樽市のホームページに「小樽市の街並みの形成について」次のように書いてあるので再掲しておく。

小樽という地名は、アイヌ語でオタ・オル・ナイ(砂浜の中の川の意)と呼ばれたことに由来します。江戸期より鰊漁や鮭漁を営む人々により集落が形成され、1865(元治2)年に「村並」となりました。
 1869(明治2)年、札幌に開拓使が設置されると小樽は北海道開拓の最も重要な港湾として位置づけられ1880(明治13)年には、道内で最初の鉄道が手宮と札幌間に開通しました。
 その後、小樽港は1889(明治22)年には特別輸出港に、1899(明治32)年には国際貿易港に指定され、さらに日露戦争後は南樺太の消費物資の供給地となるなど、小樽はこのころから急速に発展し、繁栄の一途をたどりました。
 一方、街並みの形成過程をみますと、1889(明治22)年には色内・手宮の地先の埋め立てが完成し、この地に石造倉庫が建ち並びました。市街地の中心も勝納町から入船町、堺町、色内町方面に移り、回漕店、問屋、銀行などが軒を並べました。特に「北のウォール街」と呼ばれた銀行街は、明治から大正期にかけて中央の金融機関が進出したもので、本道金融界の中心地として重要な役割を果たしました。
 このような背景の中で、色内一帯には中央の建築家の手による旧日本郵船(株)小樽支店(国指定重要文化財)、日本銀行旧小樽支店(小樽市指定有形文化財)など、近代建築が数多く建てられました。
 これら明治、大正、昭和初期の建造物は現在も数多く残されており、歴史や文化を今に伝え、小樽らしい街並みを形成しています。

小樽-5 北浜橋から北の方を
ここ北浜橋からは以前も描いたが過っての運河の感じが残っていて好きな風景だ。大きな紙に描きたい風景だと思ったが仕方ない。
描い終わってその時も立ち寄ったレストランPRESS CAFEで少し早い昼食。その時食べたスープカレー(北インド風チキンカレー)をまた食べた、美味い。
 

小樽-6 北浜橋から南の方を
祇園祭も終わったので小樽に戻ります。この方角も昔の運河の面影がよく残っている。

小樽-7 旧早川商店(川又商店)小樽市色内2丁目
以前から気になっていた建物で、日影があるので向かいの道路に座って描いた。
よくあることだが、描いているときはああこうなっているんだと思い楽しく描くのだが出来上がると何ともつまらない絵になってしまった。
この建物も小樽市の歴史的建造物で木骨石造2階建 。
その概要によると、新潟出身の川又健一郎が茶、紙、文房具を商う早川商店から暖簾分けを受け、現在の場所に開設したのがはじまりで、後に川又商店と店名を変更。
現在の建物は、明治37年の稲穂町大火で全焼したため再建されたもので、厚い土塗りの防火戸や隣との境界に設けられた袖壁など、防火に対する配慮がうかがわれる。その袖壁には朝日や鶴と亀などの彫刻が施され、繊細な和風意匠でまとめられている、とある。


小樽-8 海猫屋
この絵は先の旧早川商店の傍にある海猫屋。この絵はその時撮った写真から描いたものだが、すぐ傍にあるので載せておく。
この海猫屋は今はレストランのようだが由緒あるよく知られた建物だ。
店の案内を見ると、1906年(明治39年)に磯野商店が建てた3階建ての倉庫で、煉瓦造りの代表的建造物のひとつで、壁に構造は二重煉瓦積、屋根は防火の為、瓦が用いられている。

小樽の街とともに歴史を重ねてきた建物で、数多くの映画やテレビドラマ、CM等の舞台にもなっていて1986年には、作家・村松友視が海猫屋を題材に「海猫屋の客」という小説を書いている。1976年からは喫茶店としてオープンして1990年に改装したそうだが、僕が入った当時は舞台があり舞踏が行われていた面影があった。


小樽-9 堺町界隈小樽市堺町
堺町界隈は古い建物を上手く利用したお店が並んでいる。スケッチをしたいと思って歩いたのだが中国人と思われる観光客で通りも店もごった返していてどうのスケッチする気分にならない。
そんなことでこの絵も家に帰ってメモスケッチしたものだ。


小樽-10 堺町界隈2 小樽市堺町 六花亭・北菓楼附近
この辺りは以前も描いたことがある。倉庫を上手く修復し、道路沿いに広場を設けるなどし街の感じをおしゃれにしている。

小樽-11 堺町界隈3 旧板谷邸・海宝楼 小樽市東雲町
ふと丘の方を見ると「外人坂」と書いてある坂がある。ここを登れば港の方が見えるかなと思ってのぼってゆくと旧歴史的建造物・板谷邸と書かれた看板がある。そばに駐車場があるがそこからは港の方は見えない。仕方なしにその建物を描いてみることにした。
この旧板谷邸は、小樽が生んだ海運王・板谷宮吉(板谷商船の創立者)の邸宅だったとのこと。
その後夕方の昔の仲間との飲み会があるので展望できる場所を探すのをあきらめ小樽駅の方にぶらぶらと歩いて行くことにした。

小樽-12 日銀通り
堺町通りから「おたる日銀通り」と呼ばれるところを通って駅に行く。
この通り左手の建物がいまは日銀金融資料館となっている日本銀行小樽支店だ。小樽に日銀があったことでも過っての小樽の繁栄がうかがえる。
この建物は赤レンガで有名な東京駅の設計者・辰野金吾とその弟子である長野宇平治らが設計し、1912(明治45)年に完成した建物だ。


小樽-13
小樽市稲穂2丁目
駅に行くにはアーケードのある都通りを通っていたが、その駅側の裏通りのような通りを通って帰ることにした。ふと振り返ると、そうだ、この感じが普段着の小樽の街の風景だという感じがして最後に1枚描いてみた。
その後札幌へ帰り夕方、30年前に一緒にした仲間と飲む。実に楽しいひと時だった。


小樽-追加 2015.08.18
こう暑いと外でスケッチする気分にもならない。といってこのページに長い間同じ絵を載せるのも何となく不満になる。
そんなことで、もう一度描いてみたいなあと思っていた絵を再度描いてみることにした。この絵は先日載せた小樽運河。その時はこの絵の半分程度の大きさの紙に美工筆で描いたがこの絵は鉛筆で描いてみた。
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