埋もれていた絵たち
2013.06.〜
 このホームページをつくる以前に描いた絵や載せないまま埋もれていた絵も結構ある。絵をそのまま捨てるのもかわいそうなというか記憶から消えるのも惜しいなあと思いこのコーナーをつくってみた。  
 
琵琶湖(場所不明)-1 93.04.24
新作はないし、雨が降るしスケッチに行けない。そんなことで家の中の整理と合わせて昔の絵を整理していたら、懐かしい絵が出てきたので載せる。
上の絵はその後絵を描きはじめたきっかけになったはじめて参加した悠彩会のスケッチ会での絵だ。日付をみると93-04-24とあるから丁度20年前だ。
当時東京勤務で単身、同僚の木島さん(現悠彩会メンバー)から悠彩会という会があって誘われているが俺は絵を描かないので代わりに入らないかと誘われ、帰宅時に初めて悠彩会のスケッチ会に参加した。
場所は琵琶湖、電車で行った場所も駅もどこだったか忘れたが風車のあるところだった。メンバー数名は前日から泊まり、僕は東京から帰宅した翌日(?)朝出かけて合流し、数名のメンバーとスケッチした。日付は書いてあるが場所は書いていないのでどのあたりを描いたのか不明だ。
 琵琶湖(場所不明)-2 93.04.24
kさんの掲示板の書き込みでわかったことだが、悠彩会第2回目のスケッチ会に初参加し描いた絵だ。場所は高島市の風車村、多分そこから歩いて行き描いたものだろう。どちらが先か後か不明だが、少し水彩の色が加わっている。

阪神淡路大震災あとのメリケンパーク95.12(?)
1995年1月17日阪神淡路大震災の1年後、建設省兵庫国道事務所主催の「阪神淡路大震災1周年(震災復興風景絵画展)」が開かれた。記録によると悠彩会も協賛になっている。この絵を見ると下にサインがされているのでその時出展した絵だろうと思う。
そのためにか、僕の記憶としては95年暮れにスケッチ会があり、ここメリケンパークでスケッチをした。この絵はその後描き直したものだろうと思う。
その時何枚か描いたが、どんな絵を描いたのか忘れてしまった。しかしそのスケッチのときのこと、TVニュースステーションの震災1年特集の録画に来ていた久米博さんから長々とインタビューを受けたこと。3日程度の連続の特集をTVでずっとみていたが、その場は放映されず登場しなかったことを覚えている。

木炭ヌードデッサン 90(?)
1990年代東京に単身赴任していたころ6ヶ月ばかりヌードデッサンを習いに行ったことがある。多分2回/月だから12枚ばかり描いたと思うがその後忙しくなってやめた。
木炭を使って大判の木炭紙に描くのだが、最初は何とも形にならない。今はこのデッサンのみが残っている。多分上手く描けたと思って残しておいたものだろう。ただこの絵をみると左足が小さすぎる。手は見えないが手や足は結構大きいことに気づいたのはデッサンの御蔭だ。
その後絵を描いはじめてからはもっぱらないしょばなしのコーナーに載せているような車中人間スケッチだ。この方が素直に人間観察が出来て楽しくいまも続いている。ただ最近は電車に乗る回数も減ったし、みんな携帯電話を見ていて面白い人に出会うことが少ないのが残念だ。



海遊館(大阪市港区)(1998.10.20)
 今日から7月ですね。この絵は右のようなOMM(大阪マーチャンダイズマート)の今年のカレンダー7,8月の絵に採用していただいた絵。
描いたのはかなり以前で、今までHPに載せていなかったようだ。(調べると98年10月に描いている)
水族館の海遊館には昨年孫を連れて行ったがものすごい人ごみで今も人気のようだ。

この絵の右の建物は旧サントリーミュージアムで2010年に休館し、今は大阪市に無償寄贈され、名称は大阪文化館・天保山。今は「水木しげる
妖怪楽園」が開かれている。
きっと夏休みになればこの辺りは子どもたちでいっぱいなんだろう。