(三重県亀山市)
06.08.30 mie02

06年8月30日、青春18切符を使って関から九鬼までスケッチに行くことにした。30日は関でスケッチし、松阪で泊まって、31日に九鬼(三重県尾鷲市)にいく計画だ。
30日、JR難波発7:14→(加茂8:09)→関9:30着。関には初めて来た。関の駅の中に観光案内所があり、立派なイラストマップなど資料もたくさん置いてあり、亀山市のこの町への熱の入れようがわかる。
 駅から旧東海道へのアクセスの道は何とも味気ない。三重県の「さわやかまちづくり賞」を受賞した百五銀行などがある東西に直行する街道まで来ると町並みが一変して、昔の宿場町の光景になる。
 最初江戸側(東)に下り、そのあと、京都側(西)に描き場を探して歩く。なんだか映画のセットの中を歩くような気分になる。ゴミ箱も郵便受けも、街の小物類も昔風になっている。なんだか淋しいなあと思うと、道には電柱がなく、修復でよく使われる手法の町の裏側に配置されている。
 この絵は、地蔵院西のすこし西側から東方面を描いたもの。町の人も親切である。
町並みの修復って難しいなあとつくづく思う。
放置すると消えてなくなるし、修復しすぎると映画セットになってしまう。


関に行ったことがある方は、この絵も関?と思われるかもしれない。
実は昼食を食べた後描き場を探してウロウロしたがどこも同じような雰囲気である。また、映画のセットのような町家が並んでいて午前中に描いたものと同じようなものになってしまう気がした。
こんな雰囲気の中にコンクリート建物がいくつかある。多分、古い町並みを修復しようという価値観の生まれる前に、近代化のシンボルとしてできた自慢のコンクリートの建物なんだろう。(国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されたのは昭和59年)
不思議なもので、あまりに整然と古い町家が整備されているとこんな雰囲気を描きたくなるものだ。
この絵を描き終わった後は、関は東海道の宿場町の中で、唯一、昔のままで残っているところなのだと心改め関らしい家並みを描いた。

これは3枚目の絵。電車の時間との関係もあり、木炭紙に鉛筆画のつもりで描くことにした。右手の建物は関宿旅籠玉屋。「関に泊まるなら鶴屋か玉屋」といわれる関宿を代表する旅籠だったとのこと。今は歴史資料館として公開されている。その手前が郵便局。

駅から直行するところで百五銀行があるところ。時間がないし、急いで鉛筆画として仕上げたもの。後から眺めると結構雰囲気が出ているなあと思っている。絵というものやゆっくり描けばいい絵になるとは限らないものだ。
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