エジプト スケッチブック
No.10 アレキサンドリア、そして、帰路 12.13〜12.14

●エジプト最後の昼食はホテルで

●ホテルの屋上からアレキサンドリアの海を

●ホテルの屋上から

●ホテルの屋上から

●ホテルからアレキサンドリア空港へ

●アレキサンドリアの空港にて

●アレキサンドリアの空港にて

ついに旅も終わり。アレキサンドリアの空港から出発し、ドーハ空港で乗り継ぎ、明日の午後3時には関空にとうちゃくというスケジュールだ。空港にはヨーロッパ人も東洋人もいるがついついアラブ系の人たちに目がいく。

●アレキサンドリアの空港にて

●夕食は機内食 アレキサンドリア→ドーハ

●ドーハ空港にて
ドーハ空港は最近はハブ空港のようで、空港も大きくいろんな人種のるつぼだ。我々のグループの人たちもお土産を買ったりし、待合室に集まっている。
にぎやかな笑い声が聞こえるなと思ったら、岩手弁の世田谷婦人や大阪のおばちゃんだったり我々のグループだ。なんとも元気でにぎやかなか方々だ。独り者の参加者としてはこいう元気で明るいおばさんたちでよかったと思っている。

●ドーハ空港にて

●ドーハ空港にて

●ドーハ空港にて

●ドーハ→関空の夕食

●ドーハ→関空 昼食

●お土産のお菓子
●今日で終了(2008.02.03)
今日で現地で描いたスケッチは終了です。エジプトスケッチの初めにスケッチ用具を描いたので、最後に成果品を載せることにします。
F4サイズのスケッチブック5冊に地図やチケット類を含め全て貼り込んでいます。従来は写真もこの中に貼り込むのですが、絵でいっぱいなのでもう1冊つくろうかどうしようか迷っているところです。
紙の表側にF4サイズの絵を、裏側にはがきサイズの絵を4枚セロテープで貼り込んでいます。絵にはできる限り描いた時の時刻を書いています。
今からはこれらをもとにパソコン本を1冊つくることです。
まだまだ寒い時期が続くので丁度よいかなと思ったりしています。わずかに2週間ばかりの旅行で、こんなに長い間ひまつぶしをさせてもらうのだからそんなに高いものでもないと思ったりしています。

●6032 エジプトから帰ってきました。
12
月月3日の夜、関空出発し、今日14日午後3時ごろ帰国した。
「エジプトゆったり大周遊12日間」と銘うったパックツアーで添乗員さんを含め14名の旅行だった。パックツアーなのでどの程度スケッチできるか不安だったが、今までの人間スケッチで鍛えたスピードが役立ったようで、はがきサイズとF4サイズをあわせるとなんとか200枚以上のスケッチができた。当然雑な絵だが、まあまあこんなものだろうという気もしている。
このホームページにどんな形で載せるかまとまっていないので今後どうなるかわからにが、表紙絵はF4サイズに描いたもの、ないしょばなしははがきサイズ描いたものを載せようかと思っていますので、ご笑覧下さい

●6034 元気なおばさんたち
エジプトツアー参加者は男5名に女8名。内訳は、夫婦が3組、姉妹1組、友だちおばさん1組、独り者のおばさん、おじいちゃん、そして僕というメンバーだった。
実は、僕の予想では、エジプトなんて暑くて汚いところに行く者はほとんど男だろう、季節的には師走で忙しい時期だから、圧倒的にリタイアーした男たちが大部分で、女は少ないと思っていたが大間違いだった。
中高年のおばさんが8人集まるとなんともにぎやかで笑い声がたえない。しかも、皆さん元気で、食欲も旺盛。おばさんパワーに圧倒された感じだ。
おばさんは元気でにぎやか、男はやさしいという日本の中高年社会のモデルのような感じがした。
明るさとたくましさを持ち合わせたおばさんたちが、独り者参加の僕にとっては、元気の元だったかもしれない。
●6033 バシャ
論説委員の脇坂さんによると、フィンランド語は、ローマ字読みすることが多いこともあって、発音が似ている同音異義の面白い言葉がたくさんあるそうだ。
「シカ」は鹿ではなくて「豚」、「カニ」は「小さなウサギ」、「スシ」は「狼」のこと。
面白いのは「クルクルパ」。
子ども達の遊び言葉と思われるようなこの言葉は実は「通行証」の意味。
似たような例がどこに行ってもあるようで、ルワンダではトウガラシのこと「ウルセエンダ」と呼ぶとか。
最初に訪れたルクソールは観光地、いたるところに観光客を乗せた馬車が走っている。
「バシャ、バシャ!」と叫ぶので「馬車に乗りな!」と言っているのかと思ったが、実はエジプト語で「バシャ」は「金持ち」とか「偉い人」を意味するそうだ。
エジプトの1世帯当り平均年収は20万円で東京都の30分の1程度と聞いたことがあるので、実は「そこのお金持ち!」って言っていたのかも知れない。
●6038 拭くと洗う
「食文化」という言葉はあるが、「便文化」という言葉は聞かない。しかし、排便処理の方法には「拭く」文化と「洗う」文化がある。日本は最近、ウォシュレットの普及で、「拭く」文化から「洗う」文化に変化したようだ。
エジプトは「洗う」文化だ。
「地球の歩き方」というガイドブックを買って事前に読んだところ、
「エジプトでは一般的なのが、便器の脇に水道と空き缶がある、いわゆるアラブ式トイレ。・・備え付けの空き缶と水道は排便の処理をするためのもの。缶に水を入れて左手でお尻をその水で便器を洗い流す。・・・・」と書いてある。
どんなものだろうと興味を持ってトイレに入るが、水洗蛇口にホース状のものはついているが、書いてあるようなトイレには残念ながらお目にかからなかった。
観光立国なので西洋人や日本人がたくさん訪れるので、「洗う」文化から「拭く」文化に変化しているのかもしれない。
休憩所やレストランのトイレに入るわけだが、人が立っていて「チップ、チップ」と言われる。
1
2エジプトポンド(10円程度)を払うわけだが、小銭がないときには困ってしまうこともしばしばだ。
ヨーロッパの観光地の有料トイレはきれいに清掃されているが、こちら汚いトイレばかり。こんな汚いところでチップとは、という気分になる。
●6040 ○×
試験などの場合、日本で正しいものは、間違っているものは×とも×ともいえないときは、さらに非常によくできたときにはなどの印をつける。
以前海外ではどうなっているか、トルコやイギリスなどネットで問い合わせたことがあるが、今回は現地のガイドさんにエジプトではどうなっているか聞いてみた。
すると、は使わず、「レ」(チェックのしるし)をつける。×は日本と同じ「×」とのことだ。また、なんて概念はないようで、YesNoの二つの選択しかないとのこと。また、も当然ながら使わないとのことだ。
これは以前問い合わせたヨーロッパの国々と同じだ。
韓国や中国など東洋のことは知らないが、日本の○×方式って結構ユニークな方式なのかもしれない。
●6043 「さらばじゃ」と「山本山」
エジプトの言葉はアラビア語だが、観光地では英語も通じるのでさほど苦労はなかった。また、案内の表示なども、よくわからにアラビア語とともに、英語が併記されているのでさほど困ることはなかった。
観光土産店や遺跡を歩いていると、時に「ニイハオ」とか呼びかけてくることもあるが、よく「こんにちは」と話しかけてくる。
面白いことに、ルクソールやアスワンなどの観光地では「サヨウナラ」のかわりに「サラバジャ」というのをよく聞いた。
これはテレビで「おしん」が放映され人気があったらしく、その中で「サラバジャ」と言うのが彼らの日本人へのさよならの挨拶になったようだ。
カイロではもっと昔の流行語?「山本山!」と呼びかけてくる。この言葉を使う源はわからないが、大都市・カイロの方が古い流行語を使っていたのも面白い。
●6045 ワンダラー
「ワンダラー、ワンダラー!」これは今回の旅行で耳に残るほどよく聞いた言葉だ。
おみやげものを売り歩く男たちやみやげ物屋の店先で「ワンダラーワンダラー」と叫んでいる。
要は「1ドルだよ、1ドルだよ」と言っているのだが、そこに並んでいるのは100円ショップとは違い、どうみても値段の違うものが並んでいる。
「ワンダラー」=「安いよ、安いよ!」という意味のようで、「ワンダラー」に乗って値段交渉をするのも疲れる。

●6060 エジプトの住まい
今、No.3のバスの中から描いたメモ画の中にあるが、田舎の住まいは運河沿いに建っていて、ロバなどの乗り物らと共存しながら生活している姿がうかがえる。
右の略画を見てください。
僕の見た光景では、左側が田舎の住まい、右側が都市の住まいの典型だ。なんとも奇妙な住まいをたくさん見かける。
田舎と都市のいずれも屋上にはパラボラアンテナが付いている。最近衛星放送が安くなったのでテレビ好きのエジプト人はみんなパラボラアンテナをつけたとのこと。
も一つ共通しているのは、住まいはコンクリートの柱で作られいるが、屋上には鉄筋がむき出しになった柱が建っている。ガイドさんの説明によると、外観を完成させると税金が高くなるので、建設中の姿にしておくためようだ。増築したければ、またその上に梁と柱を打ち同じような形にするらしい。
田舎と都市が違うのは柱と柱の壁だ。
田舎はそこに日干しレンガが使われているが、都市は焼きレンガが使われていることだ。
観光立国なんだから、屋上の柱とむき出しの鉄筋はみっともない。なんとかしないと恥ずかしい。

●6061 通り過ぎる絵になる風景
今見ていただいているように、パックツアーだから、当然ながら、バスでの移動が中心の旅行だった。また、エジプトという遺跡の多い国だから、バスは遺跡から遺跡に移動し、遺跡のところで降りてその空間を体験することが大部分となる。そのために描く対象も遺跡ということになる。
実は「絵になる風景」は遺跡ではない。
運河沿いの農家、埃にまみれた路地、喧騒とした街、市場や街の人々の光景、そんな「絵になる風景」をバスの中からみえるが、当然のことだがバスは止まってくれないし、あっという間に車窓を通り過ぎて行く。
悔しいなあと思うが、これは仕方ない。個人旅行だったら、こんな広い国を南から北まで移動することは無理だし、いろんな遺跡をみることはできない。
幸いカメラの中に少し残っているので、時に、写真をベースにそんな「絵になる風景」も描いてみようかと思ったりしている。
●6064来年は、画楽多絵(がらくた絵)
今回のエジプトスケッチで、面白いなんと思ったのは、1枚のはがきサイズの紙にバスの中から外の様子をメモのように描いて1枚の絵にすることだ。見ていると1枚の一つの絵よりも表現が豊富でイメージも連続する。結構面白いなあと思った。
この方法は、今回は時間の経緯を1枚の絵にしたものが多いが、博物館などでは展示品を1枚の中にいくつも描くことを試みた。また、1つの建物や一つの街の細切れを1枚の絵にする方法も考えられる。1枚の紙に一つの絵を描くよりも表現や視点が多様になる手法とも思える。
こういうのをなんと呼ぶのか知らないが、昨晩思いついた名称が「画楽多絵」。この名称なら盗作にはなるまい。
来年はこの「画楽多絵」にも取り組んでみようと思ったりしている。
●6073 アラビア語
エジプトではアラビア語が使われている。そのため、なんて書いてあるのかさっぱりわからないが、幸いなことに、ほとんどの観光地で英語が併記されているので特に問題はなかった。
右の文字はアレキサンドリアの国立博物館に行ったときガイドさんに書いてもらったアラビア語だ。
ご存知のようにアラビア語は右から左に書く。
書いているところを見ると右側をやや上にして、右から左に横に書くという感じより、むしろ上から下に書いているように紙の置き書いている。
首を右に曲げてみてください。日本語の草書体を縦書きしたのと似ているでしょう。そんな感じなのです。
また英語ではALEXANDRIA NATIONAL MUSEUMと書かれた看板の文字がアラビア語ではLANOITAN AIRDNAXELA MUESUMと書かれているとのこと。ちなみに、2段目と3段目は僕の名字と名前を書いてもらったものだ。
●6100 ピラミッドに著作権
こんなタイトルの記事が載っている。今までだと無視しそうだが、目にとまった。
エジプト考古最高評議会が、ピラミッドやスフィンクスなどの遺跡や発掘品の複製品を対象に題材の使用料を課すという法律の導入を検討しているとのことだ。
また、徴収した使用料は遺跡の維持管理に充てるとのこと。
こういう著作権は異例のことのようで、もしも新法ができたら、ピラミッドを模したテーマパークやホテルも対象になるとか。さあ、うまくいくのだろうか・・?
●エジプトスケッチに思う-1
現地で描いたものはあと数日で終わりとなった。外はまだまだ寒いので現地では描けなかった写真の中の風景を描いてみようかと思ったりしている。
今回の旅行はパック旅行ということもあって、椅子を取り出して描いたのは最初の訪問地・ルクソールでの2枚のみだ。他はほとんどが立ったまま数分で描いたもの、中には、頭の中に残ったイメージだけで描いたもののある。
不思議なもので、当初は心の中ではかなり不満だったが、そのうちに、こんな描き方もあるなと現状肯定するようになった。ずっと不満な気持ちでいるよりもその方がよかったと思っている。
●エジプトスケッチに思う-2
ここに載せた絵はほとんどその日ホテルで着色したままの状態だ。
遺跡が中心のスケッチなのでほとんどモノカラーの世界ということもあったが、一人部屋で、かつ、外でアルコールが飲めないイスラム圏の国だったから、夜にホテルのテーブルに絵具を取り出し着色することができた。今までのスケッチ旅行の場合だと大判の絵は現場で着色までするが、ついつい夕食時にワインなどのアルコール類を飲んでしまうので、残りは帰国してから写真を見ながら着色することが多かったが、今回はまじめなものだ。
また、今回の絵のサイズは半分以上がはがきサイズのものとなってしまった。
96年にイタリアに行ったときはがきサイズのノートに300枚程度描いたが今回も枚数にすればそれに次ぐものだったかもしれない。
これも結果であって、当初の予定はもっとじっくりとF4サイズに描くつもりだった。
まあその場の状況に心の方も対応できたのであまり不満もなくスケッチできたのは幸いだったかもしれない


●ルクソール西岸の集落
王家の谷などを見学した帰り道見かけた集落だ。モスクのミナレットが見える。

●ルクソール西岸の集落
この集落は正月のNHKでの放送でも登場した集落だがメモをとらなかったので忘れてしまった。ナイル川を西に渡り「メムノンの巨像」をすぎたところにあった集落だ。砂漠の砂の色の中に壁に色を付けた集落だった。その後見た集落でもこれらの色を時々見かけた
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